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川柳的逍遥 人の世の一家言
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非常口なのに扉が重すぎる  橋倉久美子



  三木城合戦図法界寺
             (各画像は拡大してご覧下さい)
秀吉は三木城の攻略に取り掛かる。

それを受けて官兵衛と半兵衛は三木城の周りに付け城を40ほど築き、

それを土塁でつなぎ、一切の兵糧を断つ戦法を考えた。

いわゆる「三木城の干殺し作戦」である。

現世でしましょ嗚咽も号泣も  西恵美子


    神吉合戦         

「裏切りの序章」

加古川城での毛利討伐の軍議により、別所氏と秀吉が決裂した際、
         しんき
神吉城城主・神吉頼定は、同じ赤松氏一族の別所氏についた。

このため、神吉城も秀吉と戦うこととなる。

周辺の野口城、志方城、高砂城とともに守りを固め、

頼定は三木の大村坂で秀吉勢を攻め立て、大勝利を収めた。

しかし、秀吉は周囲から落とす作戦に切り替え、まず野口城が落城し、

天正6年(1578)6月、神吉合戦が始まった。

第三の扉がすでに開いている  立蔵信子  

    
  三木城合戦図

天正6年(1577)10月、信長軍が播磨に進出してくると、

志方城城主・櫛橋左京進も信長に属し秀吉によって播磨は平定された。

しかし翌6年2月、東播磨で最大勢力を誇る三木城城主・別所長治が、

突如として織田信長に反旗を翻すと、

東播磨のほとんどの豪族が三木氏に同調して織田信長に反旗を翻した。

このとき、東播磨にある志方城の櫛橋左京進も、

長治に同調して信長に反旗を翻した。

人の世はうまい煙がよく揺れる  柴田園江
 


   三木城合戦図

別所氏の謀叛により苦境に陥った秀吉は、信長を頼り指図を仰いだ。

これに応え、信長は、

「謀略武略もなしに長陣していても詮はなし。

  まずは陣を払い、軍勢を神吉・志方へ寄せて攻め破り、

  その上で別所が籠る三木の城を囲むべし」

と指示した。

この指示により神吉攻めが開始され、志方城には、

織田信雄の陣が7,500余騎をもって志方城を囲んだ。

長生きをしたくない人手を挙げて  清水すみれ 



  志方城落ちる

対する志方の城兵はわずかに1,000余り、

しかも季節は夏の盛りとなり、城内には疫病が発生し、

武器をとって戦える将兵も減少していた。

織田軍の包囲に、櫛橋勢は二度三度と城外に撃って出るも、

そのたびに大損害を受けるばかり、三木城からの援軍も得られず、

ついに天正7年8月、もはやこれまでと左京進は、人質を出し、

自分の命と引きかえに城兵の助命を願って降伏した。

モヤモヤとしぶしぶどこで手を繋ぐ  北原照子     



   かんかん井戸

この井戸は三木城本丸跡に残る井戸で、口径3.6m、深さは約25m。
石を投げ込むと「カンカン」と音がすることから、
「かんかん井戸」と呼ばれる。


神吉城の西の丸を守備する神吉藤太夫は、

織田の大軍に対し、神吉城を落城させなかった猛将・神吉頼定の叔父。

猛将頼定を織田軍が攻めあぐねていた際、

藤太夫は旧知だった荒木村重の調略によって甥を裏切り、

荒木軍を西の丸に引き入れて、落城のきっかけをつくった。

しかしその後、助命に奔走する村重の隙をみて、

櫛橋氏の志方城に逃亡。

再び敵対する姿勢を示したため、村重の立場が微妙になる。

琴線に触れたか過呼吸になった  上嶋幸雀 

「番組先取り」



この藤太夫の逃亡の件を弁解するため村重は、信長のもとを訪ね。

「藤太夫を降伏させたことが結果的に神吉城と志方城の、

  すみやかな開城につながった」

のだと主張。

村重の堂々とした申し開きを聞いた信長は、

村重を許し、本願寺攻めに励むよう言いつける。

信長は、新しい世をつくるには、

村重の力が不可欠だと考えてのことだった。

疑問符が刺さったままの喉仏  山野寿之        

ところがその直後、村重に不穏な動きがあることが発覚する。

信長は村重を信じようとしながらも、

明智光秀仙千代を有岡城に遣わして、噂の真意を確かめさせた。

光秀と仙千代に問いただされた村重は、言い逃れで切り抜けたあと、

疑いを晴らすために信長に弁解しに行こうとすると、

村重配下にあった茨木城の中川清秀が村重を制止する。

食卓と仏で分ける黄水仙  菱木 誠

実は、膠着状態が続く石山戦線で、織田軍の隙をついて、

ひそかに兵糧を運ぶ二人の裏切り者がいた。

その二人が荷揚げしているところを見つかり、

織田の兵を斬って逃走したが、やがて織田方に捕われた。

その捕らわれた裏切り者は清秀の家中のものだった。

心ならずも家臣が本願寺と通じていたということになり、

この状況で村重が今、

信長に弁明をしても、手遅れ状態となってしまっていた。

がんばりたくないのにゴング鳴らされる  高橋謡々



この段階で、平井山の秀吉の本陣に村重謀反の噂が届いていた。

村重が毛利方に寝返れば、中川清秀、高槻城の高山右近もこれに従い、

摂津全域が敵となる恐れがあった。

そうなると播磨の羽柴軍は東西から毛利勢に挟まれることになる。

これを受けて官兵衛は、村重に真意を確かめに行こうとする。

が、それを秀吉が制した。

その頃、村重のもとに、策士・安国寺恵瓊から書状が届く・・・。

こうして村重が信長に造反する条件が揃っていくのである。

自転して私ひとりの灯をともす  嶋澤喜八郎

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