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川柳的逍遥 人の世の一家言
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木枯しはきっと担担麺あたり  山本早苗


    松下村塾

「村塾オープン」

安政2年(1855)12月、明ければは14歳という年の瀬に、

松蔭は実家に戻ってきた。

家族は無事を喜び、涙で迎えた。 

とはいえ、まだ許されたわけではなく、

三畳ほどの狭い部屋で幽閉状態で暮らした。

「入牢中、松蔭が囚人たちに孟子を輪読させ、解説をしていた」

と聞いた、父と兄と叔父が幽閉中の松蔭の気を紛らわせればと、

三畳間に集まって耳を傾けるようになった。

敏三郎は手習いを見てもらった。

松蔭は難しい「孟子」でも、弟・妹たちがわかるように、

具体例を出して面白く説明する。

文はすっかり学問が好きになった。

牛乳の所為かも牛は姿勢いい  小出順子


ここの三畳間で村塾は始まった

半年ほど経つと、親類や近隣の若者が受講に加わり、

さらに評判を聞きつけて、入門希望者が相次いだ。

いつしか藩の規制も緩やかになったため、

「松下村塾」の名で私塾を開くことにした。

村塾は叔父・文乃進が開いた塾だったが、

松陰がその看板を引き継いだ。

以前は子供相手の読み書きの塾だったが、

松蔭は、「漢字から兵学、国内外の事情」まで幅広く教えた。

それも一斉に教えるのではなく、

それぞれの能力や時間の都合に合わせて柔軟に対応した。

物欲も性欲もなく動く口  田口和代


杉家旧宅・農作業の道具

塾生は十代が多かったが、

九ツの子供もいれば、三十でも通う者がいた。

また足軽から百姓、魚屋の子まで身分の差なく学び、

松陰は誰に対しても丁寧な言葉を使った。

しかし人数が増えるにつれ、三畳間ではとても入りきれなくなった。

そのため畑の中に建っていた物置に古畳を敷いて、

八畳の座敷にした。

松陰はここに移り、

家が遠く通えない塾生も一緒に寝泊りするようになった。

本物の和みの味の旨さかな  庄田順子
 
とともに、せっせと食事を運び、繕いなどの世話もした。

昼の弁当を持ってこない塾生や、来客にも食事を出す。

何人来てもいいように、飯を多めに炊いて用意しておき、

余った分は、翌日、女たちが食べた。

そのため、文は温かい飯など滅多に口にできなかったが、

兄が熱心に教えている様子を見ると、それだけで不満は消えた。

松陰は入門料は取ったが、日頃の謝礼は受け取らなかった。

その代わり、塾生たちと田畑を耕して食料の足しにした。

講義をしながらの農作業で、文も手伝いながら兄の話を聞いた。

いつ以来だろうこのような安らぎ  下谷憲子

いよいよ人気が高まり、塾生は総勢90人にも達し、

毎日2、30人も通ってくるようになった。

もはや八畳間では手狭になったが、

建て増しは費用の面で無理だった。

松陰が塾生たちに解決策を考えさせると、

「自分たちの手で建て増ししてはどうか」

と言う者がいた。

「そんな職人仕事など、素人に出来るはずがない」

「畑仕事なら、先生のお話を聞きながらでもできるが、

   大工仕事になると無理だしな」

否定的な意見が相次いだ。

松陰は黙って聞いている。

そこへ若医者の久坂玄瑞が、口を開いた。

「自分たちが使う家くらい建てられなくて、

   どうして自分たちの国を立て直せようか」

ネギ焼きの葱のこげ目が主張する  山本昌乃



久坂は文よりも3歳上で、背が高く、目元が涼しく、顔立ちがいい。

医者の常で頭を剃り上げており、

大勢の塾生の中でも何かと目立つ存在だ。

入門前、久坂は「外国の使者は斬るべし」と、

激烈な手紙を送ってきて、松蔭にたしなめられたことがある。

「もっと現実を見て、実現できることを目指せ」

と教えられた。

以来、久坂は実践を重視するようになり、

塾の建て増しも実践主義の表れだった。

誰もが久坂の言葉に納得し、建設を決めた。

まずは手分けして具体策を探ったところ、

城下の空き家が安く手に入ることになった。

そこで大工を呼んで教えを請い、一旦解体して建築することにした。

バラでもナイフでも銜えられますの  山口ろっぱ

物置だった八畳の傍らに塾生たちの手で、

古材や古瓦が運ばれてくる。

共同作業は思いがけないほど楽しく、

皆、ねじり鉢巻きで生き生きと働いた。

文も手ぬぐいを姉さんかぶりにし、袖をたすき掛けにして、

大量の握り飯や茶を出し、

道具の準備や片付けにも精を出した。

一方、久坂はよく通る声で、てきぱきと指示を出す。

それは文の目にも頼もしく映った。

恋をひと粒サプリメントにいかがです 美馬りゅうこ

松蔭も率先して作業に加わった。

ある時、品川弥二郎という塾生が梯子に登り、

高所の壁塗りをしていた。

松蔭は下で、土を捏ねてはひょいと塊を投げ上げる。

それを品川が取っ手のついたコテ板で受け取るはずだったが、

手元が狂って受け損ねた。

すると土が師の顔を直撃。

品川は青くなって梯子を下りたが、松陰は顔を拭いながら、

「師の顔に泥を塗るか」 と言った。

ほかの塾生たちも文も、心配して集まって来たものの、

松陰の冗談と知り、結局は大笑いになった。

雑音のひとつひとつに意味がある  水野黒兎


   杉家旧井戸

土だらけになった着物を文は井戸端で洗いながら、

「塾生の中には自分を嫁にもらってくれる人がいるだろうか」

と夢を見た。

できればそれが久坂であってほしかった。

ただ容姿に自信がない。

女にしては背が高すぎるし、兄に似て細面で目は切れ長だが、

決して美人でないと自覚している。

「こんな自分が久坂のような魅力的な男と一緒になれるはずがない」

と、密かに溜息をついた。

憎らしいあなた愛しいのもあなた  勝山ちゑ子



大工仕事は大勢が力を合わせた結果、

ひと月ほどで10畳半ほどの建物は完成し畳も入った。

土間に炊事場、中二階、廊下、そして便所までついており、

素人仕事とは思えない出来映えだった。

松蔭は

「職人仕事など出来ないと思い込まず、

   皆で力を合わせて実行すれば、これほど立派なものができる。

   これを自信にして、もっともっと大きなものに挑もう」

塾生たちは目を輝かせて頷く。

文は兄の教えを改めて知った。

自分たちで働いて、自分たちの新しい国をつくる。

それを最も心得ているのが、久坂なのだと思った。

味方にも敵にも飴ちゃんをあげる  森田律子

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