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川柳的逍遥 人の世の一家言
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千切りにしてエレベーターのドアに貼る 湊 圭司


   松陰先生絵伝

吉田松陰とはどんな人―

顔に痘痕があり、お世辞は言わない、一見無愛想のようだが

一度二度、話してみると年長年少の隔てなく、相手に応じて話をし、

懐かないものはないほど、人柄のよさがあった。

また客が来たときは喜び率先して、その客をもてなし、

食事時にはご飯を出し、
客に空腹を我慢させて

話を続けさせることはなかった、という。
 BY/妹・千代

やわらかい言の葉品がにじみ出る  山本昌乃


  杉家の系図 (拡大してご覧下さい)

「松陰の人となり」

幼名は、寅之助、号は松陰。

いわゆる、松陰という呼名はあだ名である。

兄弟は虎之助を入れて7人。

2歳上の梅太郎、2歳下の千代、9歳下の寿、11歳下の

13歳下の、15歳下の敏三郎となる。

両親は困っている人を放っておけない性分で、

介護が必要になった親戚なども迎え入れ、

多いときには、10人以上が小さな家に同居していた。

しかし、杉家は禄の少ない貧乏所帯。

田畑を耕し、山で木を切り、後に父・百合之助が仕事で家を離れると、

母・が馬を使って農耕にいそしみ、家計を支えた。

遊ぶ金ないのでずっと見てる空  むさし      


 百合乃助と敏三郎

そんな杉家が大切にしたのが教育であった。

父・百合之助は、人を訪ねても無駄話はせず、

さっさと帰り、寸暇を惜しんで読書したという。

畑仕事には、梅太郎や虎之助も連れて行き、畑で素読を教えた。

寅之助は藩の兵学師範だった叔父の吉田家を幼くして継いだため、

兵学者で、もう一人の叔父・玉木文之進からも学問を教わった。

文之進は厳しい人で、寅之助の物覚えが悪いと本をすぐ取り上げ、

ひどいときには、「机と寅之助とを引き抱えて外に投げ出した」

という激烈ぶり。

母の瀧は文之進らからあまりにも厳しく教育され、

それでも逃げようとしない寅之助を見て、

「早く座を立てば、そんな目に遭わずに済むのに、
          ためら
   なぜ寅之助は躊躇うのか」

と歯がゆがったという。

せめてこの一瞬凍らせてみたい  立蔵信子


     瀧

冗談好きの母と、学ぶことを共に楽しんだ兄・弟・妹たち

大家族で貧しく、勤勉で厳格。

そんな杉家のムードメーカーはであった。

瀧は冗談が好きで、後年のこととして次のような逸話がある。

それは梅太郎の嫁・亀子が蚊帳を破ってしまったときのこと。

亀子がため息をつくと、瀧が、

「破れた蚊帳ほどめでたいものはない」

「『つる』と『かめ』とが舞いおりる」という意味の、

「蚊帳をつる」と「鶴」、「蚊め」と「亀子」を掛けた狂歌を詠んで

笑わせたという。

ピンチでも大阪弁はよう脱がん  オカダキキ



楽天家の母に支えられ、父と叔父の厳しさに耐え、

成長した松陰は嘉永3年、21歳のとき、九州を巡る旅に出る。

それは松陰が長州から出る初めての旅。

訪問先でアヘン戦争などの書物を貪るように読み、

洋式砲術を学びオランダ船に乗り、欧米列強の脅威に衝撃を受けた。

旅日記に記している。

「心が動くきっかけは旅することで得られる」

松陰はその後、全国各地を旅し、見聞を広めていった。

地球儀は金平糖になる模様  井上恵津子

そんな九州の旅の途中、松陰はまどろみ、ある夢を見る。

それは生まれ育った山荘「樹々亭」でのこと。

夜、兄と父と漢詩を読んで唱和し、眠りに就いたところ、

幼い妹や弟が群がって来て、「自分たちにも読んで」

とせがむので、起きて、皆で唱和した、という夢である。

幼い兄弟妹とも共に学ぶことを楽しんだ、

昔の光景が夢に出てきたのだ。

松陰にとって初めての旅は、

行動こそ大事であることを学ぶとともに、

家族を思い、ホームシックにかかった旅でもあった。

遡る時間網目をほどいてる 岡田幸子


   千 代

【千代が後年、松陰について次のように語っている】

『兄・松陰は、幼いころから「遊ぶ」ことを知らないような子供で、

   同じ年頃の子どもと一緒になって、凧を揚げたり、独楽を回して、

   遊んでいる姿を見たことがありませんでした。

   いつも机に向かって、中国の古典を読むか、

   文章を書いているか、で、
ほかのことは何もしていませんでした。

   運動とか、散歩とかはしていたのか…、

   と言いますと、
それもほとんどしていなくて、

   記憶に残っているものはありません。


   また、「寺子屋」とか「手習い場」とかに通ったわけでもなく、

   父・百合之助と、叔父・文之進に就いて、学んでいただけです。

   ある時期には昼も夜も、叔父の所に通って教えを受けていました。

   叔父の家は、わずか数百歩くらいしか離れていなかったので、

   三度の食事の時には、家に帰ってくるのが常でした」

うふふあはは好きなことでは迷はない  前中知栄           

   杉家の兄の梅太郎と松陰は、見る者が誰も羨まないものがないほど、

   仲が良かったのです。

   出かけるときも一緒、帰るときも一緒、寝るときも布団を一緒にし、

   食べるときのお膳も一緒で、たまに別のお膳で食事を出すと、

   一つの膳に並べかえていたほどでした。

   影が形に添うように、松陰は兄に従い、

   その命令に背いたことはありませんでした。

   梅太郎は、松陰より二歳年上で、自分は二歳歳下で、

   年の差が小さかったので兄弟のなかでは、

   特にこの三人は仲がよかったのです」

梅太郎は、明治43年死去。享年88歳。

千代は、大正13年死去。享年93歳。

このように長命の家系にあって、

松陰は安政6年、
30歳で死去している。

因みに、文は79歳で死去している。

貴重品袋に肺と胃と腸と  くんじろう

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