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川柳的逍遥 人の世の一家言
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雲一つない空は無理をしている  日野 愿


  毛利 都美子肖像        (各写真は拡大してご覧下さい)    

「毛利 都美子」

天保4年(1833年)、江戸桜田の長州藩上屋敷にて生まれる。

母は側室・本多氏。

長州藩12代・毛利斉広の娘。

父・斉広は、都美姫が幼い頃に死去、男子がなかったため、

その養子で第11代藩主・毛利斉元の長男・慶親が家督を継いで、

13代藩主となり、

斉元の生前の意向により、都美姫がその正室となった。

自販機の青い文字から夏に入る  河村啓子

嘉永3年(1850)7月、都美姫は女子・万世姫を出産する。

しかし万世姫は、生後4か月で夭折。

以後、都美姫は子供に恵まれなかった。

そのため、敬親は早くから国許の萩城に花里という側室を置き、

その間に1男2女が生まれたが、いずれも夭折している。

このため、長州藩支藩の徳山藩8代藩主・毛利広鎮の10男・元徳
                         もとゆき
同じく支藩の長府藩12代藩主・毛利元運の娘・銀姫(安子)

養子夫婦として迎えた。

(その長子・興丸〔15代藩主・元昭の養育係に文が抜擢される)

かなしみが白いたまごのようで 抱く  八上桐子



都美子が使用した甲冑

文久2年(1862)に大名妻子の国許居住を許可されたため、

翌文久3年の春、江戸から国許の長州に下り、山口の居館に入った。

江戸生まれの姫には、初めての領国入りであった。

都美姫は藩政改革に取り組む敬親を支え、

奥座敷の主として質素倹約に腐心する。

また、長州藩は下関戦争・禁門の変・長州征伐など、

幕末の激しい世情に飲まれ、都美姫は藩主正室として、

銃後の守りを担った。

明治維新から程なくして、明治2年(1869)に敬親は隠居し、

明治4年、敬親が没すると、都美姫は落飾して「妙好」と称した。

大正2年(1913)に逝去、享年81歳であった。

傾いた影を気合いで元通り  青砥たかこ


時世粧載寛政年間奥向之図

左上の「踊師匠」に「中老」「側女中」らが、
琴や三味線を習う光景が描かれている。


「銀 姫」
                          もとゆき
長州藩支藩の長府藩12代藩主・毛利元運の次女。

9歳で宗家長州藩主・毛利敬親の養女となる。

24歳の時、敬親の養子となっていた定広(元徳)の正室となる。

文久2年(1862)の禁制緩和を得て、

都美姫と共に江戸から長州に下る。

幕末の激動期に於て、長州藩政の難局と向き合う敬親・元徳を支え、

藩の混乱にもめげず、先頭に立って家内を盛り立てた。

「禁門の変」により長州藩は朝敵となり、幕府による征長の翌年の

元治2年(1865)2月、第1子の長男・元昭を出産。

なかなか恵まれなかった男子(結婚8年目)であったため、

喜び子の入浴まで自ら行い、信頼する養育係・文と愛育したという。

息吐いて大きく吸ってこれからも  田口和代        

慶応3年(1867)、長州藩は「朝敵」から一転して「朝廷側」となり、

敬親と元徳の官位も回復。

養父と夫がともに京や江戸に赴き、国許を留守にすることが多い中、

国許に知らせが届くと、率先して安子が応対した。

維新後、敬親の隠居により元徳は、14代長州藩主となり、

版籍奉還後は山口藩知事に就任、安子はその務めを支えた。

廃藩置県によって華族となり東京に移住した後は、

婦人教育や慈善活動に力を注ぎ、大日本婦人教育協会会長を務め、

日本赤十字社の要職も務めた。

大正14年(1925)に逝去、享年83歳であった。

美しい耳だねよそ行きの耳だ  井上一筒


山口御屋形の正面玄関。
明治から大正初期まで県庁の正面玄関だった。

「園山」

園山は、毛利敬親・都美姫への忠誠心厚く、

毛利家奥御殿総取締役として毛利家の諸事を取り仕切る。

海岸を守る台場の築造を進めた際は、

普段は表に出ない奥御殿の女性たちも築造作業に汗を流した。

園山も藩の一大事を聞き、奥女中を従えて台場造りに参加した。

敬親の養子夫妻である元徳・銀姫にも献身的に仕え、

銀姫の長男の養育係となった美和のことも、

総取締り役の目で指導怠りなかった。

褒められてスパンコールになりました  美馬りゅうこ


「宝印御右筆間」御日記
毛利藩・奥の日常が書かれた日記。
右ページには改名した美和(文)の名も記されている。


「国島」

国島は、50年以上にわたり毛利家の奥に仕えた御蔵番

都美姫や、銀姫の豪華な道具箱を管理する仕事を誇りとしていたが、

年老いてから病勝ちになる。

藩主・毛利敬親が、山口城から萩城に移る際、

奥女中たちの人員削減が決まると、

その候補の中のひとりに指名される。

国島も最初はこれに抵抗したが、後、

人員削減の差配にあたる美和文)を助け、自らも城を去った。

電池みな入れ替えましたけれど雨  山本早苗

「鞠」
まり
は奥に入った美和の亡夫が、

藩を朝敵に追いやった久坂玄瑞であったため、

総取締役・園山から文を見張るよう命じられる。

自立心が強い鞠は、出世欲もあり、忠実に命令を守った。

連合艦隊との「講和交渉」に臨む高杉晋作に、

儀礼の装束を届ける美和に同行した際に、

奇兵隊隊士らに対する美和の気丈な態度を見て、美和を見直す。

それを園山に報告後、

美和は毛利元徳の正室・銀姫に仕えることが許される。

今日のこと今日でおしまい髪洗う  新川弘子

「潮」

は、勝気な銀姫のそばで忠実に仕えた。

銀姫に仕えるようになった美和を快く思わず厳しく教育した。

たびたび、銀姫に接する美和の態度をたしなめたり、

奥女中の人員削減が、若く美しい女中を新たに増やし、

元徳の世継ぎをもうけるためだったことを知った時は、

人員削減の差配を任されていた美和を責めた。

しかし、やがて美和の気性を知り、銀姫とともに潮も美和を認めた。

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