ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
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神保修理夫婦の悲劇
わけもなく淋し風船飛んでおり 大西泰世
東山温泉
東山温泉は、約千三百年前、名僧・
行基
によって発見された、
奥羽三楽郷に数えられる、由緒ある温泉郷、
豊かな自然と美しい景観に恵まれながら、
会津若松市の中心地から車でわずか10分程度という便利さが、
市民や観光客に親しまれ、
竹久夢二
や
与謝野晶子
などにも愛された湯の街である。
ゆっくりとしたいと脳が言うもので 下谷憲子
紅葉の会津では、秋空の下を
八重、覚馬、尚之助、
三郎
が東山温泉に向かっていた。
藩主の
容保
と上洛する覚馬との、別れの旅だったが、
野郎ヶ前の茶屋にさしかかると、
神保修理
と妻の
雪子
が仲むつまじく田楽を買っていた。
二人の目的地も東山温泉だった。
二組は途中の河原で休憩をとることに。
万病に効く「のほほん」という薬 新家完司
上洛する覚馬と修理は京の情勢を語り合い、
そんな二人をよそ目に八重たちは川面に石を投げ、
水切りで遊んでいた。
三郎は近くの松の枝に小石を投げて見事に乗せた。
投げた石が松の枝に乗れば、
願いが叶うという里のものたちの
運試しだったが、八重も見習って、
覚馬が京で手柄を立てることを願って投げた。
見事、枝に乗った。
続いて雪子も投げたが、何度投げても乗らなかった。
雪子の夫は神保修理。
修理は秀才の誉れ高く、期待もされていたのに、
35歳で詰め腹を切らされる。
坂道で女が拾う柿のたね 森中惠美子
じんぼしゅり
「神保修理の悲劇」
「鳥羽伏見の戦い」
が開戦した翌日、
薩摩藩の本陣に
「錦の御旗」
が掲げられ、
江戸幕府軍が朝敵となった。
大坂城でこの報せを聞いた
徳川慶喜
は動揺し、
「この後は、江戸で戦う」
と言い、
大阪城を捨てて、海路で江戸へ逃走する。
会津藩主の
松平容保
も、慶喜に従い、
大阪から江戸へと逃れた。
さざんかの散りざま責任は誰がとる 安土理恵
総大将の戦線離脱という予期せぬ事態により、
江戸幕府軍は、総崩れとなって新政府軍に大敗。
そこで、会津藩士・
佐川官兵衛
ら抗戦派の怒りは、
「総大将の徳川慶喜が江戸へ逃げたのは、
神保修理の助言によるものではないか」
として、
恭順
を主張していた非戦派の神保修理に向けられた。
今日の地図さて何色で塗りましょう 合田瑠美子
一連の騒動を知った
勝海舟
は、慶喜に進言。
進言を受けた慶喜は、
会津藩に修理の身柄を幕府に引き渡すように命じた。
しかし、抗戦派の会津藩士が引き渡しを拒否。
そして、慶喜の要求に怒った抗戦派の会津藩士は、
「藩命だ」
と言い、修理に切腹を命じたのである。
わたくしの音だどうりで寒すぎる 前中知栄
修理は会津藩主・容保との面会を求めたが、
面会は許可されず、
「偽りの藩命」
だと知りながらも、
藩命に従って自害した。
「神保雪子」
雪子と修理は仲睦まじい夫婦だったが、
前述のとおり、修理は悔いを残して切腹。
その後、雪子は、
「会津戦争」
が起こり実家へ戻るも、
「婚家と運命を共にせよ」
と父に追い出される。
が、神保家にはたどり着けず、
娘子隊に加わって戦い、捕えられ自刃。
哀しすぎる最後を遂げる。
古井戸をのぞくと遠い日のメモリー 山本昌乃
[2回]
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y2013/02/20 09:30 z
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