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川柳的逍遥 人の世の一家言
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時空移動してろくろ首になる  井上一筒


   醍醐の花見 (歌川豊宣)

秀吉が亡くなる年の春、女性ばかりを集めて催された醍醐の花見。

「秀吉の死」

文禄5年(1596)9月、明との和平交渉が完全に決裂する。

この年には各地で、大地震が発生、畿内でも伏見城の天守閣や石垣、

さらには方広寺の大仏殿が倒壊する地震が起きている。

それも理由のひとつとして、改元が行われ、「慶長元年」となった。

先入観消そうメガネ買い替える  北川ヤギエ

翌慶長2年(1597)、14万の大軍が再び、朝鮮半島へ渡った。

こうして「慶長の役」が始まったのだが、

健康を害しはじめた秀吉の関心は、

朝鮮ではなく、もっぱら世継ぎの秀頼に向いていた。

文禄2年、淀君は秀吉の第二子・秀頼を出産していた。

この時の秀吉の喜びようは、尋常ではなかった、と伝えられている。

我が子かわいさで目が曇ってしまった秀吉は、

いわれなき謀反の嫌疑を甥の秀次にかけ、

切腹にまで追い込んでいるように、― 以来、秀吉は、

「まさに心ここにあらず」の状態になってしまっていたのだ。

やっかいな方へと種は飛んでゆく  森田律子

慶長3年になると秀吉は、醍醐寺の再建と造園を命じ、

庭に700本もの桜を植えた。

そして3月15日、おね、淀、側室や諸大名、その配下にいたるまで、

女房女中約1300人を集めた花見を催した。

「醍醐の花見」である。

男性は秀吉と秀頼、それに前田利家だけであった。

あれをしてこれしてそれもせんならん  雨森茂喜

同じ年の5月になると、秀吉は床につくことが多くなった。

5月15日には、『太閤様被成御煩候内に被為仰置候覚』という名で、

徳川家康・前田利家・前田利長・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元

五大老及び、その嫡男らと五奉行のうちの前田玄以・長束正家に、

宛てた十一箇条からなる遺言書を出している。

これを受けた彼らは、起請文を書きそれに血判を付けて返答した。

秀吉は他に、自身を八幡として神格化することや、

遺体を焼かずに埋葬することなどを遺言した。
                              (『完訳フロイス日本史5 豊臣秀吉篇Ⅱ』)

天国へ引っ越すまでのあれやこれ  オカダキキ

7月4日、自分の死が近いことを悟った秀吉は

居城である伏見城に徳川家康ら諸大名を呼び寄せて、

家康に対して子の秀頼の後見人になるようにと依頼した。

8月5日、秀吉は五大老宛てに二度目の遺言書を記す。


 豊臣秀吉遺言覚書案

秀吉の遺言状 (慶長三年八月四日) のこと。

『秀よりの事、なり立ち候やうに、此かきつけしゆへ、

  しんにたのみ申候。

 なに事も、此ほかは、おもひのこす事、なく候。かしく。

 いへやす(徳川家康)ちくせん(前田利家)てるもと(毛利輝元)

 かけかつ(上杉景勝)秀いへ(宇喜多秀家)

 返々、秀より(秀頼)事たのみ申候。

 五人のしゅ、たのみ申候。いさい、五人の物に申しわたし候。

 なごりおしく候』

消せるよう鉛筆で書く遺言書  伊達郁夫

秀吉の病は、前年に、秀吉の命令で甲斐・善光寺から京都・方広寺へ

移されていた善光寺の本尊である「阿弥陀三尊の祟りである」

という噂から、元々の信濃・善光寺に返すため、

8月17日に京都を出発したが、

8月18日、秀吉はその生涯を終えた。

秀吉の死、それは天下人の死である。

この時、秀頼は、6歳。

それは、天下が再び乱れる暗示でもあった。

守れない約束もある今日の風  靏田寿子

秀吉が亡くなったとはいえ、

まだまだ朝鮮の地では戦闘が行われている。

勢いに任せて突き進んだ「文禄の役」の際の、反省を生かし、

有利な戦で慎重に領土を拡大していたが、

秀吉の死は、戦いの意味をなくし、

朝鮮にいる大名たちは、秀吉逝去の報を聞き、

其々の思惑を秘めながら、日本に引き揚げてくるのである。

シャボン玉消えて下さい引きずらず  森 たみえ

こうして秀吉が亡くなると、豊臣政権の土台はすぐに揺らぎ始める。

多くの妻・妾を持ちながら、実子はまだ6歳の秀頼ひとり。

有能な弟・秀長もすでに亡くなっている。

その秀長にも成人した男子はいなかった。

数少ない身内であった秀次は、秀吉自らの手で粛正している。

こうした事情が、豊臣政権に暗雲をもたらすのであった。

「秀吉辞世の句」

"露と落ち露と消えにし我が身かな 浪花の事は夢のまた夢"

行きつ戻りつ一筆書きの人生さ  田口和代


秀吉の辞世 (大坂城)

サインの「松」は秀吉の雅号。直筆とも言われている。

「秀吉のちょっといい、逸話」

ある時、秀吉がかわいがっていた鶴が、飼育係の不注意から、

空高く舞い上がって姿を消してしまった。

打ち首は免れないと、覚悟してお詫びに参上した飼育係に、

秀吉は言った。

「鶴は外国まで逃げたのか」

「とてもとても、日本国より一歩も出ることはありません」

「それなら案ずるな。日本国じゅうがわしの庭じゃ。

    なにも籠の中に置かなくとも、日本の庭におればよい」

と言ったそうな。

遠景へ遠景へ野火のゆらゆら  山口ろっぱ

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