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川柳的逍遥 人の世の一家言
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蛤御門
劣化した皿にときどき渦も盛る たむらあきこ
蛤御門と蛤御門の門柱に残る弾痕
(拡大してご覧下さい)
元治元年
(1864)
7月19日、
ついに長州軍は洛中に入り、御所占領を目指し、
これを阻止しようとする会津、
桑名の藩兵らと激戦になった。
最も激しい戦闘があったのが、
御所の
「蛤御門」
付近であった。
この戦いを
「禁門の変」
と呼ぶのは、
御所の門(禁門)の前で戦闘が繰り広げられたからだが、
御所の門というのは一つではない。
雨天につき第二関節まで決行 酒井かがり
そのうち蛤御門での戦闘が最も激しかったので、
「蛤御門の変」
と呼ぶわけである。
蛤御門は、もともと
「新在家御門」
という名称であった。
ところが京の天明大火で、
普段は開くことの無かったこの門が開いたので、
まるで
「火にあぶられた蛤が口を開いたようだ」
とされ、
蛤御門と呼ばれるようになった。
有事論くもりガラスが外せない 堀井 勉
「戊辰戦争あたりから活躍しはじめた大砲」
四斤山砲
(クリックで拡大)
口径:86.5mm 全長96.0cm
全備重量:218kg 初速:237m/秒 最大射程:2.600m
1859年にフランスが制式採用した火砲。
フランス陸軍がイタリア統一戦争で、
戦果を挙げたことでその存在が知れわたり、
各国が導入を急いだ。
日本では幕府が
第2次長州征伐
で使用したのが最初である。
榴弾の側面に12か所のスタッド
(鉛鋲)
があり、
これが砲筒内の6条の溝に嵌り、
発射の際に回転を与える仕組みとなっていた。
また砲架を分解さえすれば、
未整備路でも運搬が可能であり、
山道が多くて大型の火砲を運ぶことが、
困難な日本にも適していた。
「会津戦争」
では、
両軍が主力野先戦砲
としており、
八重
も指揮して新政府軍を砲撃した。
開拓史から一歩も出ない銃社会 萩原三四郎
アームストロング砲
口径:64mm 全長:153cm 全備重量:250kg 初速:350m/秒
最大射的:3600m
イギリスの技術者
アームストロング
が開発した最新鋭野戦砲。
幕末期の日本には、12ポンド、9ポンド、6ポンドの3種類が
持ち込まれていたが、
「戊辰戦争」
で使用されたのは6ポンドのもの。
榴弾の弾体の中央には、鉛が巻きつけてあり
(鉛套式)
、
この鉛が砲空内の施条と噛みあい、
強力な回転を与える構造になっていた。
これにより、
四斤山砲
などの従来の野戦砲よりも、
弾道の安定感が高まり、
命中精度や初速、射程距離が向上した。
日本で存在が知られたのは、
「薩英戦争」
でイギリス艦隊が使用したのがきっかけで、
「戊辰戦争」
では、佐賀藩が、
上野の彰義隊攻撃と会津戦争で2門用いている。
どかんかいイージス艦のお通りだ 嶋澤喜八郎
[1回]
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y2013/03/20 09:30 z
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