ロンパリ!考える椅子
川柳的逍遥 人の世の一家言
[
307
] [
306
] [
305
] [
303
] [
304
] [301] [
300
] [
299
] [
298
] [
297
] [
296
]
白拍子
紅
(べに)
引くと生きてゆく気がする不思議 時実新子
白拍子
「白拍子」
とは、平安末から鎌倉期にかけて大ブームとなった舞姫である。
水干
(すいかん)
、烏帽子に白鞘巻
(しろさやまき)
の太刀をさした男装で、
当時の流行歌謡である「今様」を歌いながら舞う男舞で、
鎌倉時代の朝廷には遊興のときに、
白拍子を集める
「白拍子奉行人」
なるポストまであったという。
わたくしは遊女よ昼の灯を点もし 時実新子
静御前
徒然草によると、平治の乱で犠牲となった
信西入道
が、
舞女のなかから、特に芸道の熱心なものを選び、
磯禅師
に教えて舞わせたのが始まりで、
それを娘の
静
が継いだのであるという。
静とは、いうまでもなく
源義経
の愛妾であるが、
静こそ白拍子の正統の継承者であり、
義経を慕う歌を歌いながら舞う姿に、
並みいる御家人たちが、感動をもよおしたという。
(画面は拡大してご覧ください)
一月に生きて金魚の可能性 時実新子
祇 王
「祗王・祗女」
平家物語
によると
祗王・祗女
の姉妹は、
都で評判の「
白拍子の上手」
だった。
この芸が時の権力者・
清盛
の目にとまり、
姉の祗王は邸に迎えられて、寵愛を受けるようになる。
清盛はふたりの母・
とじ
にまで家をつくって与え、
毎月米百石に銭百貫文を送ったという。
清盛の祗王への執心が増すにつれ、
祗王の名声はますます高まり、
祗王にあやかろうと
「祗」
の字をつけた白拍子が急増した。
二ン月の裏に来ていた影法師 時実新子
それから3年ほどたったころ、
またしても白拍子の上手が現れた。
加賀生まれの16歳で名を
仏
(仏御前)
という。
たちまち都の人気者となった仏は、
「天下に名前は知れ渡ったけれども、
今をときめく太政入道殿に召されないのは残念なこと」
と思い、自ら清盛の西八条邸を訪れた。
三月の風石に舞うめくるめき 時実新子
しかし清盛は、
「遊び女は呼ばれてから来るものだ。祗王がいる以上、
神も仏も出入りは無用、さっさと帰れ」
と追い返そうとする。
それをとりなしたのが祗王だ。
「呼ばれなくとも参上するのが遊び女のならい、
すげなく追いかえすのは同じ白拍子として、
可哀そうでなりません」
といってとりなした。
四月散り敷いて企み夜になる 時実新子
それならばと、清盛が仏を招いて歌い舞わせたところ、
これが祗王に勝るとも劣らない、至高の芸であった。
清盛はたちまち仏に心を移し、西八条にとどめようとする。
慌てたのは仏である。
「祗王御前のとりなしで舞を見ていただいたのに、
邸に召し置かれたら祗王御前はどのように思うでしょうか」
と固く拒んだ。
ところが清盛は、
「祗王をはばかるならば、祗王を追い出そう」
といって祗王を邸から追いたてたのである。
美しい五月正当化す別離 時実新子
噂を聞き伝えた都人たちは、
それならば祗王を呼んで、
遊んでみようとしきりに使いを送ったが、
いまさら人に芸を見せる気にもならない。
そんなある日、
傷心の祗王のもとに西八条から使いがやってきた。
「仏が退屈そうだから邸にきて舞をみせよ」
という。
六月の雨まっさきに犬に降る 時実新子
あまりの仕打ちに祗王が返事をしないでいると、
重ねて清盛の使いがやってきて、
「どうしても来ないならこちらにも考えがあるぞ」
と威しをかけた。
「都を追い出されるのはつらい」
という母の言葉に背中を押され、
しぶしぶ西八条へ出頭する祗王。
七月に透ける血脈陽を怖れ 時実新子
清盛の前に姿を現した祗王は、涙をおさえて、
「仏もむかしは凡夫なり、我等も終には仏なり、
いづれも仏性具せる身をへだつるのみこそかなしけれ」
と歌った。
〔仏もむかしは人であった。我々も悟りを開けば仏になる身である。
いずれも仏性をもっているのに差別されるのは悲しい・・・〕
仏と仏御前をかけて、
このように悲しみを歌に託したのである。
八月の蝉からからと完(おわ)りける 時実新子
これを見て、平家一門の公卿、殿上人、家人にいたるまで、
涙を流さない者はいなかったが、
清盛だけは彼女の心のうちに気づかず、
上機嫌で、
「舞も見たいが今日は忙しい。
今度は呼ばれなくてもくるように」
と命じるのだった。
脈うつは九月の肌にして多恨 時実新子
悔しさに打ちひしがれて、泣く泣く家に帰った祗王は、
「これほど辛い目にあうくらいならいっそ死んでしまいたい」
と打ち明けたが、
「娘に死におくれ、生きながらえてもしかたない」
という母の言葉を受けて、ようやく思いとどまる。
そして親子三人は、髪をそって尼となり、
嵯峨野の奥に庵を結んで、念仏三昧の日々を送り始めた。
祗王21歳、祗女19歳であった。
十月の藍の晴着に享
(う)
く光 時実新子
ところが、その年の秋、意外な人物が庵を訪れた。
いつものように三人が念仏を唱えていると、
竹の網戸を叩くものがいる。
仏道修行を妨げる悪魔が来たのかと思いながら、
恐る恐る戸を開けてみると、
立っていたのは何と仏御前であった。
あくまでも白し十一月の喉
(のんど)
かな 時実新子
祇王寺
仏は、
「いずれ自分も同じ身になると思うと,
嬉しくありませんでした。
この世の栄華は夢の夢、一時の楽しみに誇って、
来世の幸福を得られないのは悲しいとおもい、
邸を出てきました」
といい、被っていた布をとるとすでに尼姿になっていた。
それから4人は、一緒に念仏を唱えながら日を送り、
ついに極楽往生の本懐を遂げたのであった。
萼
(うてな)
=
極楽に往生した者の座る蓮(はす)の花の形をした台
極月のてのひらなれば萼
(うてな)
です 時実新子
[2回]
PR
y2012/11/18 09:30 z
CATEGORY[ポエム&川柳]
<<
福原遷都への総括
HOME
頼政と行家
>>
Copyright (C) 2005-2006 SAMURAI-FACTORY ALL RIGHTS RESERVED.
忍者ブログ
[PR]
カウンター
1日1回、応援のクリックをお願いします♪
最新記事
式部ー藤壺・花陽炎-①
(11/21)
式部ーどうにもとっまらない-賢子
(11/14)
式部ーどうにもとまらない賢子
(11/07)
式部ー賢子--跳んで弾けてとまらない
(10/31)
式部ー恋の手立ては手紙から
(10/24)
リンク
管理画面
新しい記事を書く
メールログイン
カテゴリー
演劇・映画 ( 8 )
ポエム&川柳 ( 1091 )
アルバム(風景) ( 2 )
アルバム(催事) ( 2 )
アルバム(動物) ( 0 )
雑学 ( 43 )
名言・辞世の句 ( 0 )
未選択 ( 0 )
プロフィール
HN:
茶助
性別:
非公開