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川柳的逍遥 人の世の一家言
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影があるかと振り向いてばかりいる  森田律子

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       源行家


新宮十郎行家(源行家)は、

源氏の総帥・
八幡太郎義家の孫であり、源為義の十男である。


「新宮十郎行家」

為義後白河院の熊野御幸に検非違使として随行した際、

第15代熊野別当・長快の娘をみそめて結ばれる。 

「熊野の女房」とか「立田の女房」とか呼ばれていた彼女は、

生地の新宮で一女一男を産んだ。

女児が丹鶴姫で、男児が新宮十郎行家だ。

頼朝義経にとって、

丹鶴姫は叔母であり、十郎は叔父になる。

卵焼きの匂いがする始発駅  神乃宇乃子  

為義の10男として生まれた行家は、

最初は源氏の御曹司らしく「義」の一字をいただいて、

「義盛」と名乗っていた。

新宮で生まれ育った行家が、

源平の争乱のなかに乗り出すきっかけとなったのは、

同じ源氏の源頼政の口ききによる。

見せ掛けはスムーズだった方程式  北原照子

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 頼政のにらみ

まっさきに平家に反旗をひるがえした頼政にとって、

血筋がよく、弁舌達者な行家は重宝な存在だった。

頼政は、行家を八条院蔵人に推したうえ、

「平家を討つように」 という、

以仁王の令旨を伝達する使者として白羽の矢をたてた。

≪頼政、
以仁王主役説に別の見解もある≫

その泥は冷えたご飯に合うのです  中村幸彦

以仁王の令旨を携えた行家は、

治承4年(1180)5月1日、鎌倉の北条館に到着した。

令旨を受け取った頼朝は、水干の装束をつけ、

男山八幡宮に向かって遥拝してから目を通したという。

鎌倉から信濃へと足を伸ばした行家は、

甥の木曾義仲に会って挙兵を説くなど、

諸国の源氏一族に伝えた。

行家には、天性の情報収集能力と、

今でいうコーディネーターとしての、

才能に抜きんでたものがあったと伝わる。

ピノキオの鼻は味方をたんと持ち  森中惠美子

行家が「義盛」から「行家」に改名したのは、

熊野別当第19代・行範と関わる「行」がついているほうが、

諸国に散らばっている熊野山伏たちの、

庇護を受けられると考えたからと解釈される。

地元では仮面はずして輪に入る  佐藤正昭

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    源頼政

「源頼政」


頼政は、武将であり歌人である。

その才が後白河天皇に愛され、

保元の乱(1156)では、後白河方の源義朝の下で戦う。

続いて義朝が起こした平治の乱(1159)では、

清盛に味方し、

源氏でありながら平家の政権下に名を残す。

しかし、出世は遅く、昇殿を許されたのは63歳のとき、

清盛の推挙で従三位に叙せられたのは、

75歳になってからである。

空遠く消して眼球だけ残す  富山やよい

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     頼政句碑

平家物語によると清盛は、

頼政の階位について完全に失念しており、

そのため長らく正四位であった頼政が、

"のぼるべきたよりなき身は木の下に椎(四位)をひろひて世をわたるかな"

という和歌を詠んだところ、

清盛は初めて頼政が正四位に留まっていたことを知り、

従三位に昇進させたという。

ゆで卵ツルンとむけた今日の運  山本昌乃

治承3年(1179)11月、法皇と対立した清盛は、

福原から兵を率いて京へ乱入して、クーデターを断行、

院政を停止して法皇を幽閉する挙に出た。

「治承三年の政変」と呼ぶ。

たこ焼きが焼けた革命始めよう  石橋芳山

翌治承5年(1180)2月、清盛は高倉天皇を譲位させ、

高倉帝と清盛の娘・徳子との間に生まれた3歳の、

安徳天皇を即位させた。

これに不満を持ったのが、

後白河法皇の第三皇子の以仁王である。

以仁王は法皇の妹・八条院暲子内親王の猶子となって、

皇位への望みをつないでいたが、

安徳天皇の即位で、その望みが全く絶たれてしまった。

頼政はこの以仁王と結んで、

平氏政権打倒の挙兵を計画した。

ピリオドのために踏み出す第一歩  植田斗酒

諸国の源氏と大寺社に、

「平氏打倒」を呼びかける令旨の伝達は、

先述の源行家にまかされる。

しかし、5月にこの挙兵計画は露見、

平氏は検非違使に命じて以仁王の逮捕を決めた。

だが、その追っ手に頼政の養子・兼綱が含まれていたことから、

まだ平氏は、頼政の関与に気付いていなかったことがわかる。

以仁王は園城寺へ脱出して匿われた。

海は弧に砂のトルソを覗き込む  湊 圭史

5月21日に平氏は園城寺攻撃を決めるが、

その編成にも、頼政が含まれていた。

その夜、頼政は自邸を焼くと、

仲綱・兼綱以下の一族を率いて園城寺に入り、

以仁王と合流。

平氏打倒の意思を明らかにした。

ピボットのガスは斑に腐敗する  井上一筒

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    源頼政vs鵺

「頼政エピソードー鵺(ぬえ)退治」ー(平家物語から)

仁平3年(1168)夏、近衛天皇は奇病に悩まされていた。

深夜になると黒雲が御所をおおい、

鵺の鳴き声が聞こえてくる。

その度に天皇は苦しまれた。

薬も名僧たちの祈願も効かず、

やがて雲の中に住む妖怪の仕業と考え、

弓の名手・源頼政に妖怪退治が命じられた。

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きっと見上げた頼政は弓をひき

「南無八幡大菩薩」と心の弓に祈念して、

矢を力一杯放つと見事命中、

落ちてきた妖怪を家臣の者の早太が刺し殺した。

火をともして見ると、

顔は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、

恐ろしいという以上である。

天皇は感心され獅子王という名剣を下された。

破れ目をつくろいにゆく接続詞  たむらあきこ

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