ふいに手を繋ぎたくなる烏瓜 河村啓子
陸奥亮子 (各画像は拡大してご覧下さい)
亮子の憂いを含んだ横顔の写真は、つとに有名だ。
鹿鳴館の貴婦人の中でもナンバーワン美女の呼び声高いが、
自由奔放な夫の生き様に翻弄され、彼女の人生は辛苦がたえなかった。
りょうこ
「鹿鳴館の女たち」③-陸奥亮子
明治政府の高官が薩長連合で占められているなか、
紀州出身の
陸奥宗光は藩閥のバックもなく、孤軍奮闘していた。
才気煥発がゆえに、身の不遇にもがき苦しみ、
私生活では妻を病で失うという不幸に見舞われた。
そんな時、可憐な新橋芸妓の
亮子に惚れこんだ。
芸妓でありながら身持ちが固い女といわれたが、
なぜか陸奥に心をひかれた。
明治6年、17歳でひと回り年上の陸奥と結婚。
翌年には長女が生まれ、先妻の子どもと合わせて、三人の母親になる。
号泣も爆笑もとうに飽きている 中野六助
中央が陸奥宗光、左が亮子、右は長男の広吉
5年後、宗光は反政府運動に加担した罪で禁固5年の刑を受け、
山形監獄に投獄されてしまう。
亮子は姑とともに、陸奥家の主婦としてけなげに留守宅を預かった。
ところが宗光は出獄するとすぐに、単身ヨーロッパに留学。
妻の心労をよそに何とも身勝手な夫といおうか。
筆まめの宗光は獄中時代から亮子に手紙を書きつづけ、妻の行状を指示。
唯一事後承諾となったのが、鹿鳴館での慈善バザーへの参加だった。
外遊中の明治17年、尻込みする亮子を、
総理大臣夫人・
伊藤梅子が後押しして出席させたのだ。
あるいは私が錆びるためのあまり風 山口ろっぱ
「於鹿鳴館貴婦人慈善会之図」‐橋本周延画
鹿鳴館では貴婦人たちの主催による慈善パーティーが行われた。
陸奥亮子も、めずらしく夫に事後承諾でバザーに参加していた。
政府高官がズラリと居並ぶなか、
亮子は初めてきらびやかな世界に足を踏み入れた。
その後政界復帰を果たした夫とともに、亮子も社交界にデビューする。
その抜群の美貌から
「鹿鳴館の華」とうたわれた。
また夫が駐米大使となって渡米すると、
クリーブランド大統領夫妻に謁見するなど、
ワシントン社交界でも華やかな存在となる。
33歳女盛りの亮子にとって、人生でもっとも輝かしい時期ではなかったか。
美しい横顔の写真も、ワシントン時代に撮影されたものである。
鏡台よ泪をかくしているのです 田中博造
戸田極子
きわこ
「鹿鳴館の女たち」④-戸田極子
戸田極子は岩倉具視の二女。
14歳で大垣藩最後の藩主・戸田氏共に嫁ぐ。
岩倉具視の令嬢という血筋もさることながら、
その美貌は陸奥亮子と並んで「鹿鳴館の華」とうたわれた。
明治20年4月22日、
内閣総理大臣・
伊藤博文邸で盛大な仮装舞踏会が開かれた。
主催者の伊藤夫妻はヴェネツィア貴族に扮するなど、
仮装した政府高官や実業家3~400名が集い、
夜を徹したお祭り騒ぎが繰り広げられた。
ところがこの舞踏会の最中、伊藤が戸田極子を庭に木陰に連れ出し、
いかがわしい行為に及んだ・・・という艶聞が流れた。
女にはやさしい牙を持っている 森中惠美子
漁食家で知られる伊藤のこと。
多くの浮名を流したが、よりによって相手は高貴な身分の伯爵夫人だ。
新聞各紙もこぞって面白おかしく書きたて、
一大スキャンダルとなってしまう。
うじたか
騒動直後、公使館の参事官にすぎなかった夫の戸田氏共は、
オーストリア大使に任命されウィーン駐在となった。
突然の夫の出世から、極子の不倫騒動の報奨ではないか、
やはりゴシップは真実だったと、関係が疑われるのも無理もなかった。
足の爪剥いでしゃっくりを止める 井上一筒
「ウィーンに六段の調」
(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)‐守屋多多志作
夫とともにウイーンに滞在した極子が奏でる琴曲に、
ブラームスが耳を傾ける場面が描かれている。
こうして不名誉なレッテルを貼られてしまった極子だが、
オーストラリア滞在中、名誉挽回とばかりに大きな役目を果たしている。
長年学んでいた山田流の琴の演奏を、異国の地で披露したのだ。
戸田家の音楽教師・
ハインリヒ・フォン・ボクレットは、
彼女の弾く琴曲に感銘しピアノ用に編曲して、
「日本の民族音楽」なる楽譜を書いている。
(譜面のない琴曲を楽譜に表しただけでも、彼らの関心の高さがうかがわれる)
風になり魔女になったりして娘 石田すがこ
また主催したパーティでも、日本文化のアピールにと極子は琴を演奏した。
そこには作曲家・
ブラームスもいた。
さらにブラームスは、ポクレットの著した楽譜に自ら加筆訂正していた。
つまり極子は、伝統的な日本文化と西欧文化の橋渡し役を務めたことになる。
醜聞の汚名返上というか、
伯爵夫人としての役目をきちんとこなしたのであった。
美人でスタイルのいい極子は洋装がよく似合い、
英語もダンスも堪能で、物おじしない優雅な物腰も板についていた。
帰国後、鹿鳴館の花形となるのは自然の成り行きであった。
交錯して足は明日へと歩きだす 清水すみれ[15回]